Feedback Cycle

アメリカの大学では。101といえば「初心者向けの講義」を表す記号だ。学部レベルは 300番台で終わる。400番台と 500番台は大学院レベルだ。きょうは智哉が大樹に英語の発音を習い始める日。そしてそのレッスンは初心者向けだから、このレッスンは「発音レッスン 101」なのである。

いつものように掃除と洗濯を済ませると、智哉は国語・算数・理科の勉強を進めた。国語は教科書を読んで漢字の問題集を30問ほど作った。それが終わると、昨夜と同様に英語圏関連の動画を見始めた。

「同じ英語でも、地域によって発音がずいぶん違うものだ。」

イギリス・アメリカ・ジャマイカ・インド・フィリピンの関連動画をみて、智哉はふと考える。

「留学するとしたら、どこがいいかな。やっぱりアメリカ?」

そうこうしているうちに10時前になった。智哉は遼一に文字メッセージを送る。

「準備はいいぞ。そろそろ始めるか?」

遼一は文字メッセージに返信する代わりに智哉にコールした。

「おはよう。きょうはもう勉強した?」

「きょうは、この通話が勉強の始まりさ。」

「英語の勉強法だったな。まず、耳と口で学習するのが英語らしい。だから教材を選ぶときは教科書だけを買うのではなく、必ずその教科書に対応する音声教材も買うように言われた。詳しい学習法は実際に学習を進めながら父さんが教えてくれることになってる。」

「必ず音声教材も買うことね。了解。教科書はどれにする?」

「前に6年生に見せてもらったけど、小学生用はつまらないよ。中学生用から始めたい。小学生用の教科書を読まずに中学生用を読むとどうなるんだろうね。大切なことを飛ばして困ることになるのかな。6年生に電話で聞こう。あ、いま調べてみたらデジタル教科書なるものができたらしい。これなら安いし、音声教材も含む。でも、まずは父さんが作った教材を使うよ。今夜さっそく発音レッスンを始めることになってるんだ。」

「そうか。オレも参加していいか?」

「所要時間が30分と決まってるから、2人同時に教えてくれるかどうかはわからない。見学ならしてもいいよ。遼一が発音を習うかどうかは父さん次第だね。」

「発音練習かぁ。どんなことするんだろうね。学校で5・6年生が発音練習してるのが聞こえてきたことなんかほとんどないもんな。それが、発音練習だけで30分。見学だけでも楽しそうだ。」

「どんなことをするんだろうねぇ。耳と口でやるのが英語学習だそうだから、板書なんかしないで、声を出しまくることになるのかな。」

「THIS IS A PEN とか大きな声で言っちゃうわけ?」

「そんな例文、誰がいつ使うんだよ。ペンには見えないペンでもあって、その正体を説明するときか?」

「そうだな。人形があって、その人形は単なる飾りにしか見えないけれど、肘から先の部分を外すと中はペンになっていて、これは実はペンです!みたいな。」

「おもしろいな、それ。昔のアニメに宇宙海賊の話があって、主人公の海賊はちょいとマッチョで野生味のある色男。その色男の左手には特殊な銃が仕込んであるんだ。その色男のデザインで作れば売れるかも。」

「いいね。おもちゃメーカーにアイディアを売り込もう。」

「売り込んでも、不登校の10歳児からは何も買ってくれないよ。プレゼンテーターの代理を父さんに頼もう。」

「さて、そろそろボクも昨日の復習をする時間だ。また夜に話そう。」

「ああ。オレは何の勉強をしようかな。算数と理科は毎日やるとして、きょうは国語か社会の教科書を読もうか。英語の復習も忘れてはいけないな。」

「そうか。じゃ、またな。予定では19時開始だ。」

「了解した。」

18 : 42。大樹帰宅。

「ただいま戻りました。」

「おかえりなさい。きょうの英語レッスンは遼一が見学する。見学だけならいいでしょ?」

「参加しないと楽しくないぞ。参加してもらってくれ。所要時間は『二人で45分』に変更だ。」

「遼一も参加する。3人で英語レッスンか。楽しそうだな。」

「私が一休みしてる間、ケータイを用意しておいてくれ。録音・再生用の機材として使う。」

「はい。」

さっそく耳と口を駆使する学習の始まりのようだ。

19時5分前、遼一からコール。

「よう。早かったな。」

「見学させてもらう身としては、遅刻するわけにはいかんだろ。」

「見学だけじゃなくて参加してもいいそうだ。所要時間は『二人で45分』に変更。待ってるあいだにケータイを用意しておいてくれ。録音・再生用の機材として使うらしい。いまから遼一がこっちに来ると遅刻になっちゃうから、スピーカーから出る音を録ることになるけど、やらないよりはいいだろ。」

「ああ、やってみる。………用意したぞ。何か喋ってみてくれ。」

「きょうは何の勉強をしたの?」

「算数と理科。このふたつはいいね。答えがはっきりしてる。…はい。じゃ、再生してみる。…うん、智哉の声もオレの声もちゃんと入ってる。」

「ところで、市販の教材をいくつか調べたら、教科書ガイドが良さそうだ。この地域の中学ではニューホライズンとかいう英語の教科書を使ってるから、それの教科書ガイドを二人がそれぞれ買って、教科書ガイドを二人に共通する教材したらどうだろう。」

「音声教材もついてるのか?」

「音声と動画につながる二次元コードを含んでる。」

「そりゃいいな。なら、それにしようか。」

「遼一くん、こんばんは。」

「こんばんは。」

「さて、そろそろ始めるか。まずは景気付けに声を出すぞ。」

そう言うと、大樹さんは1枚のプリントアウトをボクに手渡した。

「いま智哉に渡したプリントアウトと同じ内容のメールを智哉に送っておいたから、智哉からそのメールをあとで転送してもらってくれ。」

「はい、わかりました。」

「レッスンを始める前に、智哉、ケータイを貸してくれ。音声教材をここで作る。」

「…ここを押すと録音開始、録音を止めるときにも同じ場所のボタンを押す。」

Humpty Dumpty

 (Mother Goose)

Humpty Dumpty sat on a wall.

Humpty Dumpty had a great fall.

All the king’s horses 

and all the king’s men

couldn’t put Humpty together again.

ハンプティ・ダンプティ 塀に座った。

ハンプティ・ダンプティ (高い塀から)落っこちた。

王さまの馬ぜんぶでも、そして王さまの家来ぜんぶでも、

ハンプティをもとには戻せなかったとさ。

「はいよ。じゃ、書いてあるとおりのものを読み上げるから、黙読しながら聞いててくれ。”… Humpty Dumpty……”」

大樹さんは立ち上がって全身を軽く揺さぶりながらリズムをとり始めた。1拍3拍で指のスナップ、2拍4拍でハンドクラップを打つ。

「”Humpty Dumpty sat on a wall…………………………couldn’t put Humpty together again. …… This Little Pig Went to Market…………………… I can’t find my way home.” ……よし、録れてる。さて、学校には英語活動なるものがあったね。ということは二人とも英語が少しは読めるはずだ。一行ずつ、交代で読んでくれ。遼一くんから。」

「はい。”Humpty Dumpty satto on a wo-ru.”」

「ありがとう。まず、ありもしない音を発音してはならない。”satto” ではなく “sat”。-t,t,t,t,t,t,…この音でこの単語の発音は終わりだ。そして ”wo-ru” ではなく “wo-l(wɔ⧖l)”(著者注釈:括弧内は発音記号表記)。L その他の、日本語にはない音は、この段階では聞いて真似てくれ。では次、智哉。 」

「Humpty Dumpty sat on a wo-u.」

「Good. 」

(中略)

「……together again.」

「Good. さて、英語の発音で大切なのは、まずは英語らしいリズムで発音すること。リズムが英語らしくないとダサい発音になるし、発音する本人が疲れる。リズムが英語らしくないときには、1)単語と単語のあいだをブチブチと切っている 2)英語にはない音を勝手に挿入している 3)音の強弱・長短がはっきりしないか、または間違っている。こうした発音をすると、リズムが英語らしくなくなる。

まず1)について。単語と単語のあいだにあるスペースは音の切れ目を表していない。スペースのあるところで音を切ってはならない。2)についてはさっき言ったとおり。これをやってしまうと、音が増える分だけ時間が長くかかってリズムに大きく影響する。3)の強弱と長短については、自分の体で感じてくれ。以上をまとめると、英語の発音はまずリズム!リズムリズムリズム!日本語にはない音を正確に発音するのはリズムを身につけてからでいい。

今夜は主に1)の問題を解消する練習をする。英語には、子音で終わる単語がいっぱいある。子音で終わる単語に、母音で始まる単語が続くとき、この子音と母音は音がつながる。この現象をリエゾン(liaison)という。例えば一行目。sat は子音で終わり、その次の on は母音で始まる。このとき sat の t と on の o がつながる。ローマ字で t+o は何かな?」

「『ト』です。」

「智哉の答えは?」

「『ト』です。」

「はい、二人とも正解。リエゾンを書くときには sat ‿ onという具合に、下に凸の弧を書くことで、二つの音がつながることを表す。一行目にはリエゾンするところがもう1箇所ある。どこにあるのだろう。」

「on が子音で終わって a は母音だから、このふたつの単語がリエゾンします。書くなら on ‿ a となります。」

「正解。智哉、二行目にはリエゾンする箇所があるかな。」

「 had ‿ a」

「では三行目はどうだろう。」

「リエゾンしません。」

「正解。智哉、四行目は?」

「and ‿ all。」

「正解。では最後、五行目は?

「リエゾンしません。」

「ふふん。するんだな、これが。もういちど考えてごらん。」

「…… 先生、r は子音ですか?」

「遼一くん、素晴らしい質問だ。智哉、答えてごらん。」

「……カタカナで書くときはこの単語の語尾をトゥゲ『ザー(Tugezaa) 』って伸ばすから母音みたいにも思えるけど、ローマ字を書くときには r はラ行の子音だから、英語でも r は子音じゃないかな。」

「この場面でローマ字を思い浮かべるのはとてもいいね。そう、そのとおり。英語の r は子音なのだよ。ということは together again の発音は?」

「together ‿ againは r+a のリエゾンだから ラになる。」

「そのとおり!それじゃあ二人とも立って。一行ずつ私に続いて読んでくれ。Humpty Dumpty sat ‿ on ‿ a wall.」

「Humpty Dumpty sat ‿ on ‿ a wo-u.」

(中略)

「……それでは、二人ともいま感じてることを言葉にしてください。どっちからでもいいよ。」

「ボクはたったいま英語を話したような気になっています。」

「オレもです。リエゾンは日本語にはない発音方法だからちょいと戸惑いましたが、練習すればそのうちきっと、意識しなくてもリエゾンできるようになると思います。」

「んっ。日本語でもリエゾンすることがときどきある。野球でアウトが一つのことをワンウトと言わずにワンウトと言うだろう。この場合、『ン』と『ア』がリエゾンしている。これが一例だ。」

「ああ、そうか。気づかなかった。」

「それでは次に、英語学習全般について話をしよう。この図を見てくれ。図の真ん中に描いてあるマルは self つまりは自分自身を表してる。右半分の円はヒトが聴覚でやることを表している。これをaural halfと呼ぶことにしよう。左半分は視覚でやることを表している。これを visual halfと呼ぶことにする。aural half の speaking は話すこと、listening は聴くことだ。visual halfの writing は書くこと、reading は読むことだ。ここまでで何か質問は?」

「feedback というのは何ですか?」

「その答えは『後のお楽しみ』にしておいたのだよ。出たものが出どころに帰ること。それが feedback だ。自分が話すことは聴くことによって自分に戻ってくる。これが aural half の feedback。自分が書くものは自分も読む。これが visual half の feedback。この feedback がとても大切だから、英語の練習にはspeaking と writing が不可欠だ。何しろ出せば出すほど戻ってくるのだから、入れることよりも出すことのほうがはるかに大切。具体的には聴き取り練習よりも発音練習のほうがはるかに大切。発音練習は聴き取り練習を兼ねる。そしてその逆はない。読書よりも作文のほうがはるかに大切。作文は読書を兼ねる。そしてその逆はない。さあさあ、英語を出して出して出しまくろう。」

「発音を身につけるまでに何年かかりますか。10年?」

「寿司職人になるわけじゃないんだ。そんなにはかからない。不登校だったら3ヶ月でできるだろう(著者注釈:寿司職人の修行に10年かかっていたのは、寿司職人の育成過程が古(いにしえ)の師弟制度だった時代の話で、最近では専門学校にいけば半年で寿司職人になれるらしい。一例:https://www.sushiacademy.co.jp/course/sushisyokunin)。

「先生、予習のやり方を教えてください。」

「原則として、このレッスンに予習はいらない。復習をガッチリやってくれ。それでも予習したくなったらレッスンの始めに録音した音声教材を聴くだけにしておいてくれ。私ぬきで練習すると変な癖がつくかもしれないから、練習はしないこと。あくまでも予習は聴くだけ。そして復習重視だ。いいかい、ふたりとも。」

「はい。わかりました。」

「わかりました。」

「では次回以降の日程を決めよう。二人とも不登校だから週2回くらいやろうか。どうだ?週2だと疲れそうか?」

「いえ、そんなことはありません。」

「週2ならボクも難なくできます。」

「なら水曜日と土曜日でどうだ?燃える資源を回収してもらう日だ。覚えやすくていいだろ。」

「そうですね。」

「きょうが金曜日だから次は明日?それとも5日後の水曜日ですか?水曜日ならたっぷり復習できます。水曜日にしましょう。」

「ああ、そうしよう。水曜日はきょうと同じ19時から。土曜日は10時からにして、土曜の午後からは遊べるようにしよう。」

「それはいい案ですね。」

「賛成します。」

「では日程が決まったところで、きょうのレッスンは終わります。あとは2人で話したいことがあれば話すといい。では遼一くん、智哉さん、お休みなさい。」

「おやすみなさい。ありがとうございました。」

「ありがとうございました。」

「…さて遼一くん、何か話したいことがあるの?」

「んー、教材の話はもう済んだから、特にないよ。中一用でいいんだよな。

「そうだね。すでに小学校の課程を飛ばすつもりでいるから、それ以上に飛ばさずに1年生用がいいと思う。」

「それでは今夜はもうお開きね。おやすみ。」

「おやすみ。」

その後、ボクは個室に戻ると復習を始める支度をして、横になって少し休憩した。音声教材を録音したあと、さっきのレッスンはまるごと録音した。復習の道具にもってこいだ。このレッスンに朋子さんも誘おうかな。遼一はどう思うだろう。文字メッセージを送っておこう。「メールは転送しておいた。それとは別件。次回以降のレッスンに朋子さんを誘うというのはどうだろうか。」送信。

復習開始。まずは音声教材を聴いて、真似して発音するところからやってみようか。大樹さんがゆっくりラップ調に読んでくれたから聴き取りやすい。これならプリントアウトを見なくても全部聴き取れそうだ。

「Humpty Dumpty ………… together again.」

これを3回やったところで、さっきのレッスンを聴き直す。きょうの要点は「英語はリズムだ!」そして英語の音を切らない練習、主にリエゾンの練習をした。5日も復習すれば暗唱すらできそうな気がする。もういちど自分で発音して、今夜は終わろう。

付録

This Little Pig Went to Market 

 (Mother Goose)

This little pig went to market.

This little pig stayed at home.

This little pig had roast beef.

This little pig had none.

And this little pig cried;

“Wee-wee-wee-wee-wee.

I can’t find my way home.”

 この子豚は市場にいった。

この子豚は家にいることにした。

この子豚にはローストビーフがある。

この子豚には何もない。

そしてこの子豚は泣いた。

「えーん、えんえん、えーんえん。

帰り道が見つからないよう。」

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